

昭和30年ごろの常盤台の航空写真。このころから開発が急速に進む。
密山 順氏 撮影
| いやー、今回、密山様から、『昭和30〜40年台の常盤台航空写真』という大変貴重な写真を拝借できました。白土様の写真とあわせて、今後逐次掲載させていただきます。本当にありがとうございました! |
| 第二回 『常盤台』誕生! |
| さて、昭和30年『かしわ屋』(現・ディリー)が開店すると、ご近所の新住民が店の二階に集うようになりました。しかし、このころ、まだ新住民は五〜六人。それでもみんな、開拓民のように新たな希望を胸に抱いて、店の二階で宴会を重ねていたようでございます。そのうち、新住民も増え、周りの『豊四季』とは、明らかに異なる集落ができあがっていったようです。店の二階の宴会集団は、いつのまにか『町会』のような形をとるようになり、「新しい、私達の町を創ろう!」という気持ちが新住民のなかで芽生えていきました。そしてとうとう、新しい町を創る運動を始めたのです。それがいつか、正確な日付はとうとう分かりませんでした。(現在も鋭意、調査中。)しかし、『常盤台』の名前の由来はこのようなものだったそうです。 「うーん、常磐線沿線の高台だから、常磐台っていうのは、どうだい?」 「いやー、それだと、芸が無さ過ぎる。『磐』の下が『石』で、堅そうでいやだから、『皿』にして『盤』の字にしよう。うん、そうだ『常盤台』と書いて『ときわだい』と読むようにしよう!」 ・・・・・これが現実だったようでございます。(ああ、聞かなきゃよかった・・・・) このようにして、昭和30年代初頭、『常盤台』は誕生したのでございます。 |

昭和30年10月23日・現在の『常盤台4』付近
白土 勲氏 撮影

昭和30年代の『かしわや(現・ディリー)』
白土 勲氏 撮影